伝統は、海を越えて進化する。スペインの地で40年、指圧の新たな地平を切り拓いた巨匠が、その哲学と技術の神髄を語る一日。
■ 研究会概要
日時:令和7年10月12日(日) 13:00〜17:00
場所:紡指圧
神奈川県相模原市南区相模大野5-27-39 和田ビル2階
【参加費】
・神奈川県指圧師会会員 無料
・当日入会 年会費6,000円
→ 毎月の会報誌が郵送される他、研究会アーカイブページなどの会員限定コンテンツが利用できます。
・非会員スポット参加 500円
→ 学生さんなど、広く歓迎です。
→ 当会の研究会に初参加の場合、申込時の連絡事項(フォーム)にごく簡単な自己紹介を書いていただけるとありがたいです。
※ 要申し込み
参加人数の把握が必要です。
※ zoom配信は今回行いません。
(黒澤も参加者として学びたいから)
(固定カメラで撮影、アーカイブ作成をいたします)
指圧の未来を拓く、欧州からの風 ― 小野田茂先生 特別研究会 「指圧へのこだわり」 | Peatix
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小野田茂先生 特別研究会「指圧へのこだわり」
近代指圧の父、浪越徳治郎が灯した指圧の炎。その情熱を直弟子として受け継ぎ、遠くヨーロッパの地で40年近くにわたり、その光をさらに大きく輝かせてきた一人のマスターがいます。彼の名は、小野田茂。
1984年、師である浪越徳治郎の「世界に指圧を」という言葉を胸に、単身スペインへ渡った小野田先生 。彼は、マドリードを拠点に指圧治療院と学校を設立し、欧州全土に浪越指圧の礎を築き上げました 。しかし、彼の功績は単なる普及活動に留まりません。
日々、西洋人の身体と向き合う中で、彼は一つの問いに行き着きます。「日本人と西洋人の身体構造の違いに、どう応えるべきか?」 。この臨床的洞察から生まれたのが、浪越指圧を基盤としながら、西洋人の骨格やライフスタイルに最適化させた独自のメソッド「阿是指圧(Aze Shiatsu)」です 。
今回の神奈川県指圧師会定例研究会では、この小野田茂先生を特別講師として招聘。
指圧の「原点」を知るマスターが、いかにして伝統を「進化」させたのか。その軌跡、哲学、そして明日からの臨床に生きる具体的な技術論まで、余すところなくお話しいただきます。
「The Way of Shiatsu is a way of feeling Life.(指圧道は生命を感じる道)」
この言葉は、小野田先生の実践に対する究極的な見解を凝縮しています 。
指圧の目的は単に症状を取り除くことではなく、生活の質を向上させ、人々ができる限り健やかに、バランスを保って生きる手助けをすることにあります 。指圧は、単なる医療行為ではなく、深遠な芸術形式、すなわち「日本の技、そして芸術」であり、その単純で原始的に見える姿の奥にこそ、深い真理が隠されています。
【講師プロフィール】
小野田 茂(おのだ しげる)先生
日本の指圧を世界へと導いた探求者、小野田茂先生の歩み。その原点から、欧州での指圧の確立、そして独自の理論「阿是指圧」の創設に至るまでの軌跡を辿ります。
- 1981年:日本指圧専門学校(第25期)を卒業 。
近代指圧の創始者である浪越徳治郎氏の直弟子として、その技術と精神を直接学ぶ 。 - 1984年:浪越徳治郎の「世界に指圧を」という理念を胸に、指圧普及のためスペインの首都マドリードへ渡る 。
同地にて、自身の指圧治療院「Clínica Maestro Onoda」を開設し、欧州での臨床活動を本格的にスタートさせる 。 - 1994年:後進の育成と指圧教育の基盤を築くため、マドリードに「日西指圧学院(Escuela Japonesa de Shiatsu)」を開設 。
- 2000年:スペイン国内での教育拠点を拡大。アンダルシア地方の中心都市マラガに、日西指圧学院の分校を開設 。
- 2002年:欧州における浪越指圧の連携と標準化を目指し、「浪越指圧ヨーロッパ(Namikoshi Shiatsu Europa)」を立ち上げ、その代表に就任 。
- 2007年:『圧へのこだわり』を出版。指圧の根幹をなす「圧」の技術と哲学を深く掘り下げ、理論家としての一歩を記す 。
- 2010年:独自の理論体系である「横臥へのこだわり AZE SHIATSU』を出版 。
- 2011年:カタルーニャ州の州都バルセロナに日西指圧学院を開設し、スペイン国内での教育ネットワークをさらに強化 。
- 2012年:欧州における指圧の地位向上と国際交流の促進を目的として、マドリードで「第16回国際指圧大会」を主催。大会の成功を導く 。
- 2015年:自身の理論の集大成となる『阿是指圧 伏臥位・仰臥位・座位の基本施術』を出版 。
- 現在まで:スペイン、ポルトガル、オランダ、南米の読者に向け、合計14冊以上にのぼる指圧の専門書を執筆・出版 。
長年の臨床経験から、独自の「阿是指圧(Aze Shiatsu)」を確立し、その指導と普及に尽力 。
日西指圧学院院長、および浪越指圧ヨーロッパ代表として、世界で最も影響力のある指圧マスターの一人として知られている。
レポート:小野田茂先生と指圧の欧州叙事詩
序章:バルセロナの啓示
すべての偉大な旅は、一つの予期せぬ出会いから始まる。指圧の巨匠、小野田茂の物語は、計画された野心ではなく、異郷の地で偶然開かれた一冊の本から始まった。それは、彼が後に生涯を捧げることになる「触覚」という言語との、運命的な邂逅であった。彼の全キャリアは、この原初の瞬間に予言されていた。すなわち、日本の魂を持つ一つの技芸を、いかにして異なる文化、異なる身体へと翻訳し、根付かせるかという、壮大なる問いへの挑戦である。
第一章:源流を求めて ― 偶然という名の必然
小野田氏を指圧の道へと導いたのは、幼き日からの熱望ではなかった。それは彼の言葉を借りれば、「環境と偶然」という名の、見えざる手の采配であった。祖父や父が嗜む灸や鍼の香りが日常に溶け込んでいた家。東洋医学は彼にとって、神秘のヴェールに包まれた「代替」医療ではなく、生活の肌理(きめ)に織り込まれた原風景であった。この、空気のように自然な接触こそが、後に彼が指圧を教条的なドグマとしてではなく、生きた実践として捉えるための、肥沃な土壌を育んだのである。
大学を卒業し、自らの航路を見出せずにいた青年は、地中海の風に誘われ、スペインのバルセロナへと旅立つ。人生の羅針盤が定まらぬ「悶々としていたころ」、彼はあるデパートの書架に、一条の光を見出す。それは、近代指圧の父、浪越徳治郎の著作が、スペイン語へと翻訳された一冊の書物であった。ページをめくるうち、その言葉が驚くほど自然に、魂の奥底へと染み渡っていく(「実に頭に入るんです」)。その瞬間、直感の稲妻が彼を貫いた。これこそが、我が道である、と。
この啓示の瞬間は、彼の物語の核心を象徴している。彼が天職と出会ったのが、指圧の故郷である日本ではなく、遠く離れた異国の地で、しかも翻訳された言葉を通じてであったという事実。それは、彼の生涯の仕事が「文化と身体の翻訳家」たることを、初めから運命づけていた。
帰国後、彼は日本指圧専門学校の門を叩き、第25期生として創始者・浪越徳治郎その人の直弟子となる 。学生でありながら、彼の視線はすでに水平線の彼方、世界へと向けられていた。「外国で指圧をしたい」。その志を胸に、彼は無報酬で見習いとして働き、渇いた大地が水を吸うように、あらゆる技術をその両手に吸収していった。彼は単に術を学んでいたのではない。一つの文化遺産を世界に届けるという、壮大な使命のための準備をしていたのである。
そして1984年、彼は再びスペインの地を踏む 。かつて啓示を受けたその国で、師の言葉「世界に指圧を」を現実のものとするために。彼の物語は円環を描き、バルセロナで蒔かれた種子が、マドリードの大地で芽吹くための、長い旅が始まった。
第二章:大陸に礎を築く ― 実践という名の建築
小野田茂の欧州における功績は、個々の成功譚の連なりではない。それは、指圧という日本の無形の文化財のために、欧州という新たな土壌に「正統性の聖域」を築き上げる、緻密で壮大な建築事業であった。彼は一人の治療家であると同時に、教育者であり、組織者であり、そして思想の伝道者であった。その手によって、指圧は単なる異国の民間療法から、専門性を有する一個のセラピーへと昇華されたのである。
2.1 礎石を置く:実践と教育の拠点
彼の建築は、1984年、マドリードに開いた一軒の治療院から始まった。そこは、彼の理論と技術が現実の肉体と対話し、その真価を証明するための最前線であった。しかし彼の設計図は、一個人の城の完成をゴールとはしていなかった。彼は自らの叡智を次代へと受け渡すため、教育という名の礎石を置く。1994年、マドリードに日西指圧学院(Escuela Japonesa de Shiatsu)を設立。その灯火はマラガ(2000年)、そしてかつて啓示を受けた地、バルセロナ(2011年)へと、着実に受け継がれていった。
これらの学院は、日本の本校から直接的な支援を受け、その血統の正しさを保証されていた 。彼のクリニックが「Clínica Maestro Onoda(巨匠小野田の治療院)」と名付けられていること自体が、彼が単なる施術者ではなく、道を照らす指導者(マエストロ)として、人々の目に映っていたことの証左である。
2.2 梁を架ける:大陸を繋ぐ制度
彼の視野は、イベリア半島に留まらなかった。スペイン指圧協会会長として、彼はより大きな構造体、すなわち欧州全体を覆う梁を架け渡す。その集大成が、2002年に設立された「浪越指圧ヨーロッパ(Namikoshi Shiatsu Europa)」である。マドリードに本部を置くこの組織は、イタリア、スイス、オランダ、ポルトガル、スペインの同志たちを結びつけ、大陸における指圧の統一された声となった。2012年、マドリードで第16回国際指圧大会を主催した時、彼の建築は国際的な舞台でその威容を誇示した。
2.3 壁を築く:言葉による知の法典化
建築における壁が内部を保護し、その存在を外部に示すように、小野田氏は言葉の壁を築き上げた。スペイン語圏の読者に向け、少なくとも14冊の著作を世に送り出したのである。それは、初心者への優しい手引き『指圧のいろは』から、『圧へのこだわり』のような深遠な技術論、そして彼の思想の結晶である「阿是指圧(Aze Shiatsu)」の体系的な聖典に至るまで、壮麗な知の図書館を形成した 。
これらの書物は、単なる技術の解説書ではない。それは、指圧という概念そのものを、西洋の精神が理解しうる言葉へと翻訳し直す、壮大な試みであった。豊富なイラストと共に編まれた彼の言葉は、学院の壁を越え、彼の思想を永続させるための、堅固な防壁となった。
小野田茂は、臨床という「礎石」、教育という「柱」、そして組織と出版という「梁と壁」を体系的に組み上げることで、欧州の地に、指圧のための壮麗なる神殿を築き上げたのである。
表1:小野田茂氏の主要著作物
書籍名 (日本語/原題) | 出版年/情報 | 内容の焦点 |
『圧へのこだわり』 | 2007年 | 指圧の基本要素である「圧」の質と技術に特化した専門書。 |
『横臥へのこだわり AZE SHIATSU』 | 2010年 | 側臥位での施術に焦点を当てた専門書。Aze Shiatsuの文脈で解説。 |
『指圧のいろは』 | 不明 (2012年以前) | 日西指圧学院の学生向けに作成された、イラスト豊富な入門書。 |
『阿是指圧 伏臥位・仰臥位・座位の基本施術』 | 2015年 | 伏臥位、仰臥位、座位という基本的な体位におけるAze Shiatsuの施術法を網羅した包括的なマニュアル。 |
『AZE理論「体のバランスの取り方」』 | 不明 | 彼の独自理論であるAZE理論に基づき、全身のバランス調整法を解説する理論書。 |
『アスパ・メソッド アスパ(エックス)の法則とそれに基づく阿是指圧療法』 | 不明 | ASPA理論をさらに発展させたメソッドと、それに基づくAze Shiatsu療法を解説。 |
『指圧養生訓 令和版 セルフ指圧のすすめ』 | 不明 | 日常生活で実践できるセルフ指圧の方法を紹介する養生書。 |
『按腹 腹部の治療 (阿是指圧)』 | 不明 (電子書籍) | Aze Shiatsuの枠組みの中で、伝統的な腹部の治療法「按腹」を解説。 |
『指圧による肩の部分治療』 | 不明 (電子書籍) | 肩の症状に特化した部分治療のテクニックを解説。 |
第三章:魂の対話 ― 阿是指圧という名の翻訳
小野田茂の探求の頂点、それが「阿是指圧(Aze Shiatsu)」である。それは伝統からの気まぐれな逸脱ではない。数十年にわたる臨床という名の、西洋人の身体との静かなる対話から生まれた、必然の進化であった。彼は師、浪越徳治郎の教えを「完璧」で「隙が無い」と深く敬愛しながらも、その聖典を異なる言語で語る必要性を痛感していた。Aze Shiatsuとは、その翻訳の末に生まれた、新たな福音である。
3.1 核心的洞察:身体はかく語りき
Aze Shiatsu誕生の揺りかごとなったのは、一つの静かな、しかし決定的な発見であった。一日平均8人、数十年という歳月をかけて触れ続けた西洋人の身体は、彼に雄弁に語りかけた。「我々は、日本人とは違う」と 。具体的には、腰椎の湾曲。西洋人では約20%に達するそのカーブが、東洋人ではわずか2%に過ぎないという事実。この解剖学的な差異は、単なる数字の違いではなく、痛みの現れ方、身体の歪みの質そのものを規定する、根本的な文法の違いであった。
この認識こそが、彼の革新を正当化する鍵であった。彼は師の教えを否定したのではない。むしろ、その普遍的な原理を、異なる身体という現実に適用するために、新たな応用を創造したのである。Aze Shiatsuは、「ヨーロッパのライフスタイルのニーズに合わせて調整された標準化された治療法」として、その産声を上げた 。
3.2 理論の交響楽:ASPAと阿是
彼のシステムは、独自の「ASPA理論」という名の指揮棒によって束ねられている。それは、浪越指圧という主旋律を奏でながらも、身体の歪みを動きで解き放つ「操体法」のしなやかな対旋律や、骨格の構造を見つめる「カイロプラクティック」の力強い和音を取り入れた、壮大な交響曲である 。その目的は、全身の調和、すなわちバランスという名の至高の音楽を奏でることにある 。そして、その交響曲の名は「阿是指圧」。身体が発する痛みの叫び、「阿是穴(Aze points)」に応えるという、その根本思想に由来する 。
3.3 Aze Shiatsuの三楽章
Aze Shiatsuの交響曲は、いくつかの特徴的な楽章によって構成される。
第一楽章:大地の軸、抗重力筋 その主題は、身体を重力から支える「抗重力筋」にある。脊柱起立筋や大殿筋といった、人が人として立つためのこれらの筋肉は、身体の「バランスの軸」であると同時に、日々の疲労と誤った姿勢の記憶が刻み込まれる石碑でもある。この石碑を丁寧に読み解き、あるべき姿に戻すこと。それは、「気」という詩的な言葉と、筋生理学という散文的な現実との間に、確かな橋を架ける試みであった。
第二楽章:身体の声、阿是穴 第二楽章は、即興演奏にも似て、一人ひとりの身体が奏でる固有のメロディに耳を澄ます。「阿是穴(Aze points)」とは、経絡という楽譜には記されていない、身体の不調がその瞬間に生み出す圧痛点のことである 。施術者は、触覚という鋭敏な耳で、この身体の「声」を聴き取り、不協和音を調和へと導く。それは「診断即治療」という指圧の精髄を、最も純粋な形で体現する行為に他ならない。
第三楽章:形式からの飛翔 最終楽章では、伝統的な形式から大胆に飛翔する。脊椎のアライメント調整や、柔軟性を高めるエクササイズが組み込まれ、カイロプラクティックや操体法の影響が明確に響き渡る。そして、床に敷かれた畳という伝統の舞台から、治療台(ストレッチャー)という新たなステージへ。これは、西洋の臨床という劇場における、最も実践的な演出であった。
Aze Shiatsuは、指圧の西洋化ではない。それは、東洋の全体論と西洋の解剖学という、二つの言語を自在に操る「バイリンガル」なセラピーである。小野田茂は、この新たな言語を創造することで、指圧という物語を、全く新しい読者へと届けたのである。
第四章:哲学者の指先 ― 触覚に宿る世界観
小野田茂の指先が奏でるのは、単なる技術の旋律ではない。その奥には、世界と人間存在を深く見つめる、哲学者の静かな眼差しがある。彼の言葉の断片を紡ぎ合わせる時、我々は一人の治療家の肖像を超え、現代を憂い、生命の調和を希求する思索家の姿を垣間見る。
4.1 核心の哲学:「指圧道は生命を感じる道」
「The Way of Shiatsu is a way of feeling Life.」この一文に、彼の哲学のすべてが凝縮されている 。彼にとって指圧とは、症状という名の不協和音を消し去るための行為に非ず、生命そのものの響きを豊かにし、人々が健やかさと調和の中で生きることを手助けする、一つの道である 。それは医療という枠を超え、単純で原始的に見える所作の奥に、深遠な真理を秘めた「日本の技、そして芸術」なのである。この思想は、指圧を修理の技術から、生の経験そのものを高めるための芸術へと昇華させる。
4.2 実践者の魂:謙虚さと「母心」
真の指圧は、いかにして実践されるべきか。小野田氏は、その問いに「謙虚さ」と「母心」という二つの言葉で応える。それは、見返りを求めぬ配慮、共感、そして患者の魂と直感的に結ばれる、施術者の精神的態度を指す。技術という「ハードウェア」を動かすのは、この精神という名の「ソフトウェア」に他ならない。彼の指先は、この魂の在り方を通して初めて、真の癒しを紡ぎ出すことができるのだ。
4.3 時代の憂鬱:哲学者の省察
彼の個人的なブログは、現代社会の亀裂を映し出す、思索の鏡である。科学技術が生み出す「新しい現代病」への警鐘。若者の命を弄ぶ戦争を「持って来いのATM」と断じる、魂からの叫び。富む者と持たざる者の断絶が深まる欧州への憂い。そして、利益のみを追い求め、古き日本の価値観を置き去りにする現代ビジネスへの静かな嘆き。
これらの言葉は、彼が現代という時代の不均衡と「不幸」を、自らの痛みとして感じていることを物語る。この文脈において、彼の指圧への献身は、混沌の度を増す世界の中で、調和と幸福を取り戻そうとする、静かなる抵抗運動として立ち現れる。
経済格差、政治的対立、社会不安。彼が「ヨーロッパの動揺」と呼ぶこれらのマクロな不協和音と、ストレスや生活習慣が引き起こすミクロな身体の不調和。彼の哲学において、この二つは分かちがたく結びついている。そして指圧とは、その双方に対する、一つの応答なのである。それは、バランスを回復し、人を自らの身体と生命力に再び結びつける、シンプルで「原始的」な人間の触れ合いという行為 。
複雑で、非人間的で、時に破壊的な力に満ちた世界の中で、小野田茂は、その指先をもって、シンプルで、人間的で、癒しに満ちた行為を擁護し続ける。彼の指圧は、激動の世界の只中に、平和と調和のささやかな聖域を創造するための、哲学者の祈りなのである。
終章:適応という名の遺産
小野田茂という存在は、指圧の歴史という壮大なタペストリーにおいて、ひときわ鮮やかな一本の糸として織り込まれている。彼の功績は、一人の優れた治療家のそれを超え、一つの文化遺産を新たな地平へと導いた、変革者のそれである。彼の遺産は、適応の力、伝統への敬意、そして人間性の回復という、時代を超えた主題を奏でている。
5.1 世界を繋ぐ翻訳家
彼の第一の遺産は、触覚の翻訳家としての偉業である。その翻訳は、単に言葉を置き換える作業ではなかった。それは、生理学の翻訳であり、文化の翻訳であり、そして哲学の翻訳であった。彼は、深く日本的なる芸術を、その魂を失わせることなく、西洋の身体と精神にとって意味深く、響き渡るものへと転換させた。Aze Shiatsuの創造は、彼が文化的な差異のみならず、肉体という動かぬ現実に対しても、深い敬意を払ったことの不滅の証である。
5.2 敬意より生まれし革新
彼の独創であるAze Shiatsuは、伝統からの訣別としてではなく、むしろ伝統への究極の敬意の表明として記憶されるべきだろう。師、浪越徳治郎の教えを「完璧」なものとして心に抱きながら、その形式を新たな文脈に適応させることで、その原理の生命力を未来永劫にわたって守り抜いた。彼は、適応こそが伝統を化石化させず、生きた川として未来へと流し続ける唯一の道であることを、その生涯をもって証明した。
5.3 生命を感じる道へ
最終的に、小野田茂の貢献は、技術という器を遥かに超える。彼は指圧を、現代という複雑な海の航海術として提示した。「母心」を説き、現代社会への深い洞察を示す彼の姿は、我々に、技術の背後にあるべき人間性と哲学の光を指し示してくれる。
彼の遺産は、適応の力、慈愛の心、そして調和を求める人間の普遍的な渇望の証左である。小野田茂は、指圧という日本の宝を世界に届けただけではない。彼はそれを新たな大地で開花させ、より豊かで、より普遍的な物語へと進化させた。その指先の響きは、文化と人間理解の歴史の中に、永く、深く、こだまし続けるだろう。
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