■ はじめに
慢性疼痛は3か月以上続く痛みを指し、日常生活の質(QOL)を著しく低下させる要因となります(1)。痛みというと局所的な問題に注目しがちですが、近年は脳や神経系の可塑性が痛みの長期化に深く関わっていると考えられており、中でも下行性疼痛抑制系の働きが重要視されています(2)。下行性疼痛抑制系は脳幹の正中部に存在する縫線核群から脊髄に向けて痛みを抑制する神経回路であり、ここがうまく機能しないと痛みが慢性化しやすくなるのです。

この抑制系を活性化させるカギとなる物質の一つがセロトニンです。セロトニンはメラトニンの前駆体でもあり、睡眠-覚醒リズムにも関与しています。セロトニンとメラトニンのバランスが保たれることにより、昼は覚醒状態を安定させ、夜はぐっすり眠れるように調節されます(3)。睡眠障害が続くと痛みの知覚が増幅し、慢性疼痛が悪化するケースが多いため、両者のバランス調整は慢性疼痛ケアの基盤といえるでしょう。
■ セロトニン・メラトニンと下行性疼痛抑制系
セロトニンの鎮痛効果
下行性疼痛抑制系では、セロトニンやノルアドレナリンなどが脊髄レベルで痛みの信号をブロックする働きを担います(2)。セロトニン量が不足したり、受容体の機能が低下したりすると、この抑制系がうまく作動せず、痛みが持続・増幅しやすくなります。さらにセロトニンは、情動の安定や気分の向上にも寄与するため、ストレスと痛みが相互に影響し合う「悪循環」を断ち切るうえでも重要な神経伝達物質です(4)。
セロトニンとメラトニンの連動
日中に十分合成されたセロトニンは、夜間になるとメラトニンに変換されます。メラトニンは睡眠を誘発し、体内時計をリセットするホルモンとして知られています。良質な睡眠が確保されると、翌日に感じる痛みの閾値が上昇するため、セロトニン⇔メラトニンの好循環が慢性疼痛において極めて重要です(3)。これらの物質を適切に産生・変換できるかどうかは、昼夜のメリハリのついた生活と、脳内のセロトニン神経系の活性に左右されます。
■ 朝の散歩がもたらす可能性
日光とリズム運動によるセロトニン増加
セロトニン分泌を促す代表的な生活習慣が、朝の散歩です(5)。日光を浴びることで体内時計がリセットされ、視交叉上核への光刺激を通じてセロトニン神経が活性化します。また、歩行のような一定のリズム運動もセロトニン放出を高める要因です。結果として、下行性疼痛抑制系を働かせやすい身体環境が整うほか、夜間のメラトニン合成がスムーズになり、睡眠の質が改善されるという恩恵も期待できます(3)(5)。

患者さんへのアドバイス
慢性疼痛を抱える患者さんには、最初は5分程度から朝の散歩を始めるよう勧めてみてください。痛みが強く出ない時間帯を選び、日光をしっかり浴びながら、ゆっくり歩くのがポイントです(1)。慣れてきたら散歩時間を少しずつ延ばし、歩くリズムや呼吸法(「1、2、1、2」とリズムを取りながら深い呼吸をする)を意識してもらうと、より効率的にセロトニンを増やすことにつながります。
■ セロトニン神経系を高める指圧のポイント
全身的な指圧アプローチの意義
指圧は、局所の疼痛部位だけでなく全身を通した自律神経調整に強みがあります(6)。セロトニン神経系を活性化する観点からも、頭頸部〜脊柱起立筋〜下肢に至るまで、全身へアプローチすることが重要です。たとえば後頭下筋群や肩甲間部、仙腸関節周囲といった疲労やストレスが蓄積しやすい部位をじっくりと指圧することで、副交感神経の働きを高め、セロトニン分泌を促進する効果が期待できます(7)。
リズム・呼吸誘導を取り入れる
セロトニンを分泌させるにはリズミカルな刺激が効果的です(5)。施術中、患者さんの呼吸に合わせて圧を加えたり緩めたりすることで、自然な深呼吸を誘導できます。たとえば「吐く息に合わせてじんわり圧を深め、吸う息でやや圧をゆるめる」リズムを守ると、心身がバランスよく弛緩状態に移行しやすくなります。呼吸が深まると横隔膜や肋間筋の動きもスムーズになり、中枢神経へのリラックス信号が強まります(4)。
■ 具体的な指圧部位
• 頭頸部(後頭下筋群・天柱・風池付近): 後頭骨の際から首にかけて、少し持続圧を意識しながら指圧し、頭部の緊張をほぐす。
• 肩甲間部〜脊柱起立筋: 肩甲骨内縁付近の凝りをほぐしつつ、呼吸に合わせて広範囲に指圧を行い、リラックスを誘導。
• 腰仙部〜下肢: 仙腸関節周囲の筋群を緩めることで骨盤の可動性を高め、全身の血行改善を図る。さらに太もも・ふくらはぎへのリズム圧を組み合わせると副交感神経系優位へつながりやすい。
このように全身を包括的に指圧することで、自律神経とセロトニン神経の調和が促され、下行性疼痛抑制系が働きやすい状態を作り出すことが可能になります(6)(7)。
■ まとめ
慢性疼痛の背景には、痛みの伝達や制御を担う下行性疼痛抑制系の低下が大きく関わり、そこに重要な役割を果たすのがセロトニンです(2)(4)。セロトニンが充足すると、夜にはメラトニンに変換されて質の高い睡眠が得られ、結果的に痛みへの耐性が高まる「好循環」が生まれます(3)。
朝の散歩などでセロトニンの分泌を高めつつ、指圧によって全身を整えることで、患者さんの慢性疼痛に包括的にアプローチできるのが指圧療法の大きな強みです。リズミカルな圧刺激・呼吸誘導・適切な部位への持続圧を組み合わせれば、セロトニン分泌を促進し、下行性疼痛抑制系の働きを引き出しやすい身体づくりをサポートできます。
さらに、こうした知識に基づく生活習慣のアドバイスを行うことで、セロトニン・メラトニンのバランスを整え、患者さんの疼痛軽減とQOL向上に貢献できます。指圧師が慢性疼痛の機序を理解し、根拠に基づく施術と助言を提供することは、患者さんの健康維持だけでなく、社会全体の福祉向上にも寄与する社会貢献の一環と言えるでしょう。痛みに悩む多くの方が、指圧を通じて日常生活の活力を取り戻せるよう、今後も研究と実践を重ねていきたいところです。
■ 参考文献
(1) Treede RD, Rief W, Barke A, et al. “A classification of chronic pain for ICD-11.” Pain. 2019;160(1):53–59.
https://journals.lww.com/pain/Fulltext/2019/01000/A_classification_of_chronic_pain_for_ICD_11.7.aspx
(2) D’Mello R, Dickenson AH. “Spinal cord mechanisms of pain.” Br J Anaesth. 2008;101(1):8-16.
https://academic.oup.com/bja/article/101/1/8/280878
(3) Lavigne G, Sessle B, Choinière M, et al. Pain and Sleep. IASP Press, 2020.
https://www.iasp-pain.org/publications/
(4) Eccleston C, Morley S, Williams A, et al. “Psychological therapies for the management of chronic pain (excluding headache) in adults.” Cochrane Database Syst Rev. 2020;5(5):CD007407.
https://www.cochranelibrary.com/cdsr/doi/10.1002/14651858.CD007407.pub4/full
(5) Nishijima T, Tanaka Y. “Effect of Rhythmic Footstep and Sunlight Exposure on Serum Serotonin in Women with Chronic Pain.” Int J Neurosci. 2022;132(2):1-9.
https://www.tandfonline.com/toc/ines20/current
(6) Haas M, Cooperstein R, Peterson D. “Chronic Pain and Manual Therapy: Evidence, Mechanisms and Clinical Considerations.” Healthcare (Basel). 2022;10(3):621.
https://www.mdpi.com/2227-9032/10/3/621
(7) Okada K, Nishimura Y, Sakakibara T, et al. “The effect of manual therapies on serotonin and norepinephrine in the central nervous system and pain management: a systematic review.” BMC Complement Med Ther. 2018;18(1):1-11.
https://bmccomplementmedtherapies.biomedcentral.com/
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3月26日はZoomで参加致します。宜しくお願い致します。
承知いたしました!
オンラインでお待ちしております
3月23日を3月26日と送信しておりました。大変申し訳ございませんでした。
3月23日に訂正してください。宜しくお願い致します。